うつ病が…治る!???他

お久しぶりです(毎年恒例)当社比早めなのでよしです。

 

お散歩中にふと思ったので文章を書くぞ。

 

たまに聞く表現。「鬱が治った。」

適応障害の診断を受けてから社会復帰した人間の個人的な見解ですが、

治んねぇよばーーーーーーーーーーーーーか。って感じ。

もちろん適切な対処によって緩和することはあると思う。でも完治はない。うん。不安定な中で安定させて生きている。例えるなら両足で立っていたのが片足だけになったことで、片足だけで立つ練習を積み重ねて片足だけで立てるようになった。みたいな気持ち。なので私は治ったという表現よりは、「コントロールできている。」という表現のほうが好みです。正しい正しくないではなく、好き嫌いの話。

 

適応障害の診断を受けた当初、私は鬱症状を舐め腐ってました。予兆というか、鬱っぽい症状はその前からあったことはあった。けど、そんなの比にならないくらいには生活ができない。まさに廃人というべきか。精神的なものでなく、脳の病であることを今になって思う。更に今思うことは、一人で解決できる問題じゃないということ。当時一人暮らしをしていた私は親に引きずられるようにして実家に連れ戻されました。実家に帰った最初はひたすらようつべを観て、ご飯食べて、寝る。みたいな生活してた。と思う。妙に親が優しかった気がする。父が話しかけてくる…??まじ…??って感じ。多分、今になって思うと勝手に自殺しないか見張ってたのかなぁと邪推する。真相は不明。結婚したときのスピーチにでも言ってみるか?予定ないけど。ちなみに結婚したときのスピーチで家族全員を泣かせることができる自信があります。それくらいには廃人になってたので。ええ。

話がそれました。廃人してたときの思い出として、母が自分の部屋に清めの塩(風水的なやつ)を置いたときはさすがにキレました。そういうのじゃないから。まじで。さすがにこのときは死を考えました。ええ。

そんなこんなで、なんとなくよく寝て、よく食べて、なにもせず…という生活を1ヶ月ほどした頃、自分で動くためのお金がない…ということに気づき、お金が欲しくなりました。さすがにいきなり正職は難しいためアルバイトへ。選んだのはホテルの皿洗い。おばあちゃんたちに囲まれてちやほやされる環境。若い手が入ることがほぼほぼない所に若いのがきたらそりゃ重宝がられるてなぁ。このアルバイトが正解だった。人との連携が必須ではない環境、短時間、そこそこに忙しい、でも作業自体は簡単。朝早くから始まり、昼過ぎには終わる。朝早いためだんだん寝るのが早くなり、遊んでいる時間が夕方中心になり、夜更かししてもある程度なんとかなる…まぁ楽しかったよね。あのときがはむにくとしてはピークやったと思う。はむカツサンドが最も栄えていた頃ですね。過去の栄光。それが1年間。その1年の中でだんだん夜更かしもしなくなり、夕方遊んで夜は寝る。っていう生活になってきた。生活リズムが整ってきた、お金は自分が遊べるだけの最低限もらった。そうするとだんだん自我を取り戻してきます。「やっぱり本職に戻りたい。」実は実家を出ることも考えていたけど、さすがに現実的に考えてそれは無理だったので、車で通えるところのいいところを探す。だいたい1ヶ月くらい色んなサイトをチラ見して、いい感じのところを発見。今の職場に就職しました。ぶい。

もう結構経つけど楽しくやれてるので自分には今の環境が合っているんだろうなぁと、なんだかんだ思う。今は絶賛自己研鑽中。日々戦いながら生きている。忙しいけど、充実しているんだろうなぁって。

最近はある程度夜更かししても耐えられるようになりました。ある程度だけやけど。もちろんそれを続けていたらまたまた…ってことになるので気をつけないといけませんが(1敗)

身体は壊れるけど、心が折れることはなくなったかな。折れないから身体壊れるんやけどさ。あかんやん。っていうことなので体調管理、生活習慣の管理はとっても大事なのできっちりしないといけないよねってこと。そこちゃんとしないとねってこと。

より良い状態になるためには今必要な、適切な事をちゃんとしようねって。基本のキ、よく寝てよく食べる。それすらしないのに鬱が良くなるわけないやろって。

 

体調悪い~とか、うつだ~って言ってる人がよくいる。私は決まって「寝ろ。」という。適切な努力をしろと思う。でも最近は、そういう話を聞いて欲しいだけか。と言うことに気がつき、「アータイヘンダネェ(棒)」って言うことにしている。良くする気がないんだぁって思って。だいたいの不調、メンタルの乱れは夜更かしで解決される事が多い。だから寝ろという。夜寝ろという。人間にはリズムがあるのだから。寝ろという。大丈夫ならええんやけどね。だめな人はだめなんで。私はダメなときはだめなので、ダメなときは夜更かししないようにしてる。

みんなもよく寝てくれ。食べると寝るのは充実させた方がいい。そう思う。そんな話。

 

 

もう一つの話題。これもお散歩中にふと思ったこと。半ば強制的に去年を振り返った。愚痴がね、いっぱい出てきてね。辛そうでした。(他人事)

私は都合のいい人間にならないと、そう宣言しよう。いや、細かく言うと「都合のいい人間になろうとするムーブをやめよう。」です。なんかねー、癖でねー、やっちゃうんよねー。自我を出せ自我を。わりと強めの自我を持っているくせに内に秘めようとするのでよくないよなーって思ってた去年。成長したはむにくは自我を出していく決意を固めた。無条件に人に優しくすることはよくないことだと、そう知った去年。優しさは罪なのだ。変に優しくするよりも、切るとこ切って前に進む方がよかったりする。そういう割り切りというか、切り替えというか、大事やなって。この人俺を利用しようとしてるな…?って勘ぐるようなことがあるとざわざわする。そしてそんな人間に対しては利用されてみながら利用してやろうと思う。やり返すわけじゃないけど、あなたのために我が身を捧げますよ…はしない。自我を持って生きるんや。

去年学んだこと、一方的な愛を与えるときは返ってこないものだと知れ。愛を送ったら必ず愛が返ってくるものではないのだ。意外と欠けている視点やと思ってる。ちなみに恋心は相手を簡単に使役することができます。身をもって知っているので。地獄だぞ。最近はわりとドライになってきているのでもういいかなぁって思う。疑いの目が養われていく。悲しいことではあるけど、生きていくには必要かもしれない。

愛は愛し合うことで本物かもしれんけどね。そういうこともある。そんな気持ちで生きる。

 

去年の上半期、しんどかったことが成長に繋がっているんだなぁと。しみじみ。私に本当の愛をくれる人はいるのだろうか。私は私に愛をくれる人と結婚したい。そんな人には私もとびきりの愛をあげようと思う。