うつと闘う

うつと診断されてからだいたい3年半。

今自分の中での理解としては、「うつ」っていうのは治らないなって思う。もちろん、「うつ病」に対して治療的手段を終了する(通院や服薬など精神療法の必要がない状態)ことはある。実際今の自分はそんな感じです。ただ、うつ状態はいつまで経ってもつきまとうことになる。一歩油断すればたちまちうつ状態に陥るリスクがあるのが現状なのだ。

じゃあなんでそんな状態で生活できるのかというと、自分のデッドラインを理解したからというのと、メンタルケアとボディケアの手段を確立してきたということが大きい。しかし、そもそもの問題としては生活の自立化までに大きな障壁があり、最もつまずきやすい、もしくはつまずいている壁だと思う。

 

20代前半くらいでうつ状態になってしまう人は、何らかの理由で思春期における精神的な発育が遅れた(精神的自立の不足)ということがあるかもしれない。ただ、この考えは対象例がごく限定しているので間違っていると思う。あくまでも個人的な妄想の話です。私の経験としては、うつから立ち上がれたという自覚を持ったのが精神的な自立、遅れながらのプチ反抗期がきたことです。簡単にまとめると、自分の足下が明瞭に見えた感覚がありました。そして思い描いていた自分と現実の自分とのギャップに気づき、絶望し、周りに当たってしまうことがありました。しかし、その後にこのままじゃだめだな。となれました。そこからもまた大変でしたが、長い長いトンネルを走り抜けた後に木漏れ日の差す林道を歩いているようで、充実した気分でした。そして再就職が決まり、経済的な安定を手にしたことで精神的な自立に加え、経済的な自立を得ることができました。

これまでの経験から私は精神的な自立と経済的な自立、2つの自立を得てようやく大人になれるのだと思いました。そして大人になると、多角的な視野であったり、中立の見定めであったり、善悪のグレーゾーンを見極めたりなどの色んな倫理、感覚的な問題に触れていくことができ、対処できるようになっていくんだと、そしてその経験の数々が大人の魅力になっていくんだと思っています。

 

つまり、思春期の経験。特に反抗期っていうのはとっても重要な要素だった。かもしれないということです。精神的な自立という意味ではめちゃくちゃ大切かもしれない。色々な葛藤の狭間で得られるものというのは、今後の人生においてとても基本的であり、かつ重要なものかもしれませんね。私はこれから自分に何が足りなかったのかを考えていくこととします。私の経験が誰かの役にたつといいな。

ストレスと不眠症の関係についての雑感

たまに夜眠れないのは日中の満足度が低い、つまり日中の活動量が少ないことから夜間に埋め合わせるようになる。と言われているのを耳にします。

私の感覚としてはだいたい合ってるなぁ~っていう感じ。

だいたいというのは、日中どんだけ忙しくても夜更かししてしまうこともあるからですね。じゃあ、忙しくても満足してないのでは?ということになりますが、実は「もう十分だよ」っていうくらいには満足しているんですよ。もう動きたくない。早く寝たい。と思いながら帰路に就くわけですが、なぜか寝ることができない。普段なら11時までには「あー眠眠寝る寝る」と言って寝るのですが、床につかないんですよ。

 

この感覚は、ストレスでしょうね。間違いなく。ええ。

最近仕事きつすぎません?もう1人が抱えるキャパ超えてますよね絶対。「キャパ超えてるのに夜更かしってどうなん?」って思う人いっぱいいると思うんです。

ちゃうねん。キャパを超えると眠れなくなるんや。そしてエナドリの沼に浸かってしまいもう戻れなく…ならないことはもうないけど、慣れていない人はほんとにこのまま戻れなくなって不眠症、ないしはうつ病をこじらせることがあるので本当に注意したいですね。不眠による脳への影響は結構大きいです。体感でもよくわかるのですが、9時寝、10時寝、11時寝、12時寝、1時寝、それ以降って感じで明らかに翌日、翌々日くらいから体調と頭の回転が変わるんですよ。ちなみに10時寝をするとパソコンのタイプミスが当社比8割減します(マジ)。タイピングの時間が3割短縮します(ほんまやで)。それくらい普段の脳が疲れてんやなっていうのが伝わりますね。なのでストレスを溜めない過ごし方っていうのを身につけていくのが必要になるのですが、なるべくならオフラインでできることの方がいいですね。オンラインやと時間の使い方が難しいので。あと電子系のライトが目を刺激してしまうのでどれだけ時間を作っても休まらないのが実際。なのでオフラインで休める趣味を作って、手軽に手を出せるものを”いくつか”用意していくといいと私は思いました。体験談ですがね。

 

なんでこんなことを急に書き留めたかと言いますと。

 

 

今まさにそういう状態だからです。まじで仕事しんどい。こんな状態が半年続くなら今年中に今の職場を辞めようと思う。しんど味。

燃え尽き症候群を体験した感情

DV杯から数日。あれからずっと、くそデカ感情を放出したことにより色々の手が着かず、集中力がなくなってしまう感じになっていました。最近はやっと解放されつつあるので少しずつ感情を取り戻してきています。なんであんなに感情が乗ったのかは動画になるのだろうか?まだ触れないようにしよう。

 

燃え尽きたことでほんとに色々とやる気が出ず、仕事に支障が出るレベルだったのですが今はわりと平気になってきました。仕事中に急に泣き出すやつがおるかと。

 

気持ちの整理がついてないっていうのはあーいうことを言うのかと思いました。初めて感じたくそデカ感情だったのでどう処理したらいいか分からなかったっていうのが詳細。情緒の処理というのは実はとても大切な能力だと感じた今日この頃。対策はない、というよりは経験して覚えるしかない部分なのかなと。なので強いて言うとしたら若い内に真剣に取り組むことで得られる結果、結末を体験しておけっていうのが対策になるのだろうか。

ちなみに幼い頃にゲームなどの娯楽を抑制された子どもが大学生になって自由になると堕落するというのを聞いたことがあります。ゲームによる感情の刺激に慣れておらず、勉学を疎かにしてしまうようです。何事にも強い刺激に慣らしておくというのは必要なのだろうか。

 

でも性癖は幼い頃に受けた刺激で決まるというしまた違うのだろうか。

活動拠点をついったからですこーどに変更するメリットとデメリットについての雑感

最近ではディスコードで集まる機会が増えているようです。ツイッターで連絡を取り合うことや交流することが減ってきている印象があります。私は2年前より活動拠点をディスコードに移すことを推奨していました。それが旧はむカツサンドです。旧はむカツサンドでは夜な夜な通話に人が集まり、交流をしておりました。しかし、私個人の忙しさや飽きもあり、消失してしまいました。最近では新しく立て直し、改めて人集めをしているところです。

 

ディスコードに拠点を移すメリットとしては、

・余分な情報が目に入りにくい

主にツイッターを拠点としていると自分が目にしたくない情報が頻繁に飛び込んできます。私がスプラトゥーンを中心に活動していましたので、それを例えに出しますと「ウデマエが伸び悩んでいる時に最高値を更新した報告を見つけてしまう」「自分はウデマエXに行けない。周りの人はみんなXなのに」など。あるあるな場面ですが結構メンタルつつかれる内容なんじゃないでしょうか?SNSという広大な変態の集まりの中で焦りが出てしまうのですかね。実際はウデマエXにいくまでやっている人間のほうが稀であるにも関わらず、ツイッターをやっているためにウデマエXが常識となってしまう現象が起こってしまいます。「大丈夫。Xまでやっているやつ全員変態だよ。」っていう声も届かなくなるんですね。情報社会の昨今ですが、メンタルのコトを考えると時には情報を狭窄させることも必要になるんじゃないでしょうか。

 

・会話に余計な操作が必要ない

SNSは会話するときに文字を入力する必要があります。文字での会話は非常に高度な技術を必要とします。正直言いたいことの全てを伝えるのは難しい。普通に喋るのでも難しいのに余計に難しい。ニュアンスが伝わらないので思ったより冷たくなってしまったりすることがよくあるのです。あとは、やりとりにラグを生じるため、会話として使用するにはてんで向いてないと思うのです。「このツイート2時間前のやし、今触れるのは遅いかな」みたいな感じで置いてけぼり感を感じることがあることないですか?私はよっっっっくある。

 

・交流する人間を選択できる

たまにいません?なんやねんこいつってやつ。フォロワーじゃなかったとしても目に入っちゃうんですよね。そんな人間を目の当たりにしなくてもよいのは非常に強い利点だと思います。

 

一方でデメリットとしては、

・交流が閉鎖的になり広がりにくくなる

新しいところって入るとき気まずいですよね。人ってそんな気まずいことを勇気持ってしようなんて基本考えないんですよ。あの人とあの人は仲がいいなんてなれば、じゃあそっとしておこうかなってなるんですよね。だからいつでも入ってきていいよーってしてもなかなか入ってきてくれる人はいません。ほんとに来てくれていいんやけどねぇ。これが人柄ってやつかな。

 

・そもそもよく関わる人がいないと成り立たない

わかる。

 

・個人鯖が乱立すると人が分散して少数化進んでいく

今はそんな感じになりつつありそうですね。今から人を集めるのは相当難しいでしょう。2年前はこんなことしてるよ~っていうだけで人集まったんでね。

 

なので今は集まっている人のところに合流していくのが無難かと思われます。もちろん、自分の趣味を貫いていきたいと思う場合は頑張ってとしかいえないですが、頑張ってください。

今から合流してもいいのかな…迷惑じゃないだろうか…そんな人は沢山いると思います。

はむカツサンドは基本適当に雑談しているだけですし、なんなら全く話さずに解散することもしばしばです。例えるなら集会所に来て、雑誌やら朝刊を読んで、コーヒーを1杯飲んでお別れ。みたいな感じです。他のサーバーのことは分からないですがだいたいそんな感じじゃないでしょうか。興味のある人は是非知り合いのサーバーに遊びに行ってみて下さい。そんな邪険に扱われることはないと思いますよ。

 

 

邪険に扱われた場合の責任は負いかねますのでご了承下さい。

ボイロトゥーンという世界

先日はVD杯お疲れ様でした。

最近VD杯についてをブログにしたためることが流行っていますが、動画のネタが消失してしまう恐れがあるので一旦置いておきます。

 

なのでそれに近しいボイロトゥーンという世界について、私の雑感を書き置きます。

 

そもそもボイロトゥーンという世界は、ニコニコ動画にキャラクター付き有料合成音声読み上げソフトを使用したスプラトゥーン実況動画を投稿した人間が自動的に入会(?)する界隈のことです。多分。

諸大会の要項では「ボイロトゥーン2」というタグがついていればよいみたいです。

 

ボイロトゥーン2のタグを付けて動画を投稿し、ツイッターを始めると某有名漫画のクソコラのような「ただ動画を投稿しただけなのに…!!」みたいな感じで沢山の投稿者にフォローされます。私は初めて投稿した際に驚きました。視聴者であった時から見覚えのある名前の人間からフォローされるのです。緊張しちゃいますね。

 

そんなボイロトゥーンでは不定期に大会を開いてくれています。大きなものでは先にも触れたVD杯(ボイスロイド ドラフト カップ)やくじびきボイロマッチなどでしょうか。そこでは沢山の投稿者と話す機会が設けられます。そもそも大会の趣旨としてそこを狙いにしているようです。私はくじびきボイロマッチで大会デビューをしましたが、そこで交流の幅がとても広がりました。ありがたいですね。

(一時期私もナワバリ大会を主催しようと考えてましたが、個人的な理由で計画が頓挫してしまいました。無念。関わってくれた人には申し訳ないというきもち。)

ボイロトゥーンという世界は非常に個性が強く、動画を制作し投稿するだけあってブキにこだわりの強い人がいたりガチガチのがちの人がいたりウデマエを上げたくて悩んでいる人がいたりなど様々な人がいます。そして、それらはその人の一面でしかあらず、色んな話題を共有し遊んでいます。

最近?ではツイッターではなく個人のディスコードのサーバーに寄り合うことが多い印象ですね。2年前はわしも色んな人を招いたってもんじゃ。ふぉっふぉっふぉ…

 

ボイロトゥーンという世界では、ある程度顔が広まるとリグマやプラベの募集が容易にできるようになります。ちょっと前には対抗戦も流行りましたね。リグマ@何人とツイートするだけで集まるのだからすごいと思う。当然その人の人柄というものが大切なのですが、それは社会性という人間の基本的なスキルであるため頑張れとしか言えない。私は元々人間ではなかったので頑張った。

 

スプラトゥーンではプレイヤー間のコンタクトを容易にするために「窓」というものを作っているらしいです。もしかしたら他のゲームでもあるのかもしれないですが、私はそこまでゲームに肩入れしていないのでわからない。スプラトゥーンにおいてはウデマエの制限を設けていることが多いのでしょうか?強い人(小並感)がよくやっている印象です。

ボイロトゥーンはそんな「窓」のような機能を所持しているのかもしれない。そしてその入会基準はソフトを用いて動画を投稿するだけ。ウデマエなんてどうでもよくって、同じ話題を共有し、そして個人の趣味・思考を共有し、わかちあう。多少趣味の合わないこともあるけどそれはご愛敬。インターネットの世界のなかで小さな社会が形成されている。そんなことを思ってしまう。

 

先にも書いたとおり、ボイロトゥーンには色んな人がいます。広大な世界で迷いそうになったら立ち寄れる、そんな小さな社会のなかで私は今日もウマ娘をやっていこうと思います。あぁ!!キングヘイローかわいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!